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あんまりやる気のない創造科学批判

正教会訳だと・・・

「我がマケドニヤに往く時爾(なんぢ)にエフェスに留りて或人人(あるひとびと)に誡めて、異(こと)なることを教ふるなく、又虚誕(きょたん)及び窮(きはま)りなき系図、即(すなはち)神に於ける信の建立よりも多く争論を生ずる者に、意(こころ)を用ゐざらしめんことを求めしが如く、今もまた然り。」(聖使徒パワェルがティモフェイに達する前書』の第一章三節から四節)

口語訳だと・・・

「わたしがマケドニヤに向かって出発する際、頼んでおいたように、あなたはエペソにとどまっていて、ある人々に、違った教を説くことをせず、 作り話やはてしのない系図などに気をとられることもないように、命じなさい。そのようなことは信仰による神の務を果すものではなく、むしろ論議を引き起させるだけのものである。 」(1テモテ 1:3-4)

それで、進化とか創造とかの話は系図の類なので、 そんな議論をする時間があったらお祈りしてなさいってことです。

めんどうだから終り。気が向いたらまた書きます。

→書きました。「進化と創造を乗り越えるには」。


移転に伴うHTMLの再編集:2012.05.04.