信仰を捨てたくなるかも。
いや、まぁ、というか、このくらい、もうどうでもいいでしょ。
死人は生き返らない・・・というか復活しない。
「神にできないことはない!」
ああ、そうですか、そうですね。
まぁ、これ否定したらキリスト教じゃなくなりますからね。 いいんじゃないでしょうか。
あれ?復活したのは主イイスス=ハリストスだけでない。
墓にある者は皆、生き返って人々の前に現れたと・・・。 って聖書にはサラッと書いてあるね。
旧約の預言者も最初の人アダムもエヴァもこの時に地獄から引き上げられたのよね。
まぁ、いいんじゃないでしょうか、そのおかげで私たちも復活すると証明されたのですから。
食べちゃ駄目って言われていたのにパクッと食べちゃった。
食べたら「お前は死ぬものとなった」。
で、食べる前は世界に「死」というものが存在しなかった。
じゃぁ進化はやっぱり否定しないとだめでしょうか。 困ったなぁ。
主イイスス=ハリストスが盲目の人の目を見えるようにしてやったという奇蹟について。
4世紀の聖人、聖金口イオアン(John Chrysostom)の解説によれば、眼球そのものがなかったと。 土をこねこねして眼球を創造したと。
主は神ですから、いいんじゃないでしょうか。 神ですから。
1世紀か2世紀に、犬の顔をした聖人がいたらしい。
きっと、顔が犬によく似ていたんだね。違うの?
そういえば、手塚治の火の鳥って漫画で、 主人公が顔の皮を剥がされて犬だかオオカミの顔を付けられるって話があったね。 元ネタかしら・・・?
恐らく4世紀頃の聖人。砂漠か山奥かどこか人里はなれた場所に住んでいた。
髪の毛が長くて毛むくじゃらで衣服の代わりに自分の髪の毛をまとっていたらしい。
ある日、彼の所に人が尋ねてきた。
マルコ:「街の様子はどうかね?」
巡礼者:「キリスト教徒への迫害がなくなりました。」
マルコ:「それはよかったな。では人々の信仰はどうか? カラシ種程度の信仰があれば山も動くと書いてあるが・・・」
ゴゴゴゴゴー!!(エッ、山が動き出したの!?)
マルコ:「山よ止まれ!」
ドドドドドー!!(山とまった!)
きっと地震があったんだよ。 地震があったんだよ。 地震で山が歩いたんだよ・・・。
伝承によれば、5世紀のお話です。
コンスタンティノープルで大きな地震がありました。
するとひとりの少年が竜巻(?)に巻き込まれて天高く昇っていきました。
その少年は雲の上で天使たちが「聖なる神、聖なる勇毅、聖なる常生の者や、我等を憐れめよ。」とお祈りしているのを目撃したとレポートしました。
よく生きて戻れましたね。
それは9月24日(グレゴリオ暦10月7日)のことだったようです。
お祈りに集中したいのに大勢人が訪ねてくるので1階ではなく2階に登ってお祈りしました。
それでも人が訪ねてくるので3階に登ってお祈りしました。
それでも人が訪ねてくるので高い塔を立ててその上でお祈りしました。
それでも人が訪ねてくるので、雷雲を呼んで雷雲に乗ってどこかへ飛んで行ってしまいました。
7世紀頃の聖人。
陰謀によって切られた右手が回復。
当時の医療技術はそこまで進歩していたんだよ。 当時のダマスカスの医療技術はきっと世界最先端だったんだよ。 切れた血管と神経をつないで、ちゃんと治療したんだよきっと。
生神女の庇護が奇蹟を起したのかもしれないけど、 切られた右手はちゃんと確保しておいたんだよ。
それからちゃんと病院に行ったんだよ。 きっとそうに違いない。
残念なことにローマ・カトリック教会では聖人のリストから外されたそうだ。
伝承によればドラゴン退治をしたらしい。
ドラゴンって何!?
ドラゴンって何?!
ドラゴンって何!?
ローマ・カトリック教会では死ななかったと伝えているらしいが、 正教会では死んだと伝えられている。
では、死んだ後どうなったの?
三日目に復活して天に昇った・・・と。
信じないぞ、信じないぞ、もう信仰捨てようかな。
ニケア・コンスタンティノープル信条には 神の母が死んで復活して天に昇ったと信じるなんて書いてないぞ、 話に尾ビレがついて話が大きくなっているだけなんだよ絶対。
「死んだ」と言っているだけ正教の方がマシかもしれないが、 プロテスタントの人というか、 他宗教の人から見ればカトリックも正教も「どっちもどっち」だよ。
まぁ、自らの意志において罪を犯さなかったという偉大な聖人ですし、 今更どうでもいいんじゃないでしょうか、聖人の中の聖人ですから。
某伝道会担当者の経験談。
ニューヨークあたりの某修道院に引っ越してきたら・・・。
某修道士:「いやぁ~先週は大変だったよ~悪魔憑きが出ちゃってさ~」。
現代の話ですから、普通は病院に連れて行きます。
某修道士:「いやぁ~なんか病気じゃないらしくてさ~」。
某修道士:「神父が悪魔祓いしたら出て行ったんだけどね」。
某修道士:「いやぁ~悪魔憑きなんて生まれて始めて見たよ~」。
きっと、この修道士さんは新しく来た人には毎回同じことを話しているんだよ。 そうだよ。きっとそうだよ。そうに違いない・・・。
研究熱心な聖使徒フォマさん。 私が用心深さを失わないように、どうぞ神に祈って下さい。 アミン。
ちょうど、「自分は実のところ神なんて信じていないのだ」とか、 「神なんていないのだ」とか、 「自分のしていることは無益で無駄なことなのだ」とか、 そんな絶望感に浸って、「地獄があるならこんな絶望を地獄と言うのだろう。 たしか、そうだったはずだ」と思っていた時、 それからちょうどグレゴリイ・パラマについて知りたかった時のことであった。
久しぶりに伝道会に行ってみた。
私は少し落ち込んでいるし気持ちも落ち着きがないし、 あんまり自分から話す気になれないので、 おとなしく話を聞いていた。
で、シリアのエフレムによれば、 神様を信じなかった人が復活して永遠に生きる者となったときに 嫌でも否定しても神はいるっていう状態を地獄っていうんだとか。 まぁ、そのことを聞きたかったんだけど聞く前に向うから言ってくれたよ。
それから、聞いてもいないのに、 パラマス主義ってのは、祈りを通して神を体験できるっていう主義のことで、 人間は肉体とたましいからできていて、 たましいは形がないから永遠無限の神に通じるものだから 神を体験できるって話をしてくれた。
なんか、聞きたいと思っていたけど、 聞いてもいないのに向うから話してくれたよ。
これはきっと神が私の祈りに答えて、 伝道会を担当している彼の口を通して私の疑問に答えてくれたんだよ。
それで、ついでに神はこの無言のメッセージを通して 「神はいる」ってことを主張したかったんだよ。
うん、でも科学的に判断するならば、たまたま偶然その話題になっただけだよ。